2010 |
09,25 |
学校って何か悪いことすると、先生って生徒呼び出したりして怒るけど、私が思うに、怒って、「怒られたくないから止めよう」って思わせる教育なんかは小学生までで、それ以上は、信頼を失う、という、即時的ではない罰を受けるのだから、それでいいと思うんだ。呼んで、「以後気を付けるように」。これでいいと思う。
正直善悪の考え方は、一人一人違うわけで、例えるならば、戦争で大量殺人を行った人がいたとして、負けた国の方は戦争犯罪人にされるけど、勝った国の方は英雄になるんだよ。正当防衛で人を殺したとしても平気な人もいれば、自分は正当防衛だとしても殺人を犯したんだと思う人もいる。
漫画だって、主人公が勝てばそれでハッピーエンドだけど、敵が勝てば、その世界ではそれが善とされていくんだ。
昔も書いた気がするけど、世の中の法則というのは、勝ったほうが善で負けたほうが悪なんです。
戦争がその一番顕著な例ですよね。
戦争が善と善の戦いであるように、善と悪の戦いというのは起こり得ないんです。
漫画の敵キャラのように傍若無人な悪人でも、その人なりに貫きたい信念や、正義があるから、人はぶつかり合うんです。
十人十色だからこそいざこざが起きるんです。
文化祭だってそう。
やりたい人とやりたくない人がいるのは当たり前だけど、準備をする人としない人にも同じことが言えるんですよ。
楽しむからには準備はちゃんとしなきゃ!と思う人、文化祭はやりたくないけど参加するからにはやるべきことはやらなきゃと思う人、先生に怒られたくないからやる人、文化祭は楽しみたいけどめんどくさいことはしたくない人、文化祭を楽しまないんだから準備もやらない人。
いろんな人がいるけど、それぞれ善悪の線引きが違うからこそ、こういった対応の違いがでるんでは。
善悪というと言いすぎかもですが、個人の道徳心や、背徳感の違いが生んだ結果ですよね。
今回の事件だってそう。
どこまでがセーフでどこまでがアウトなのかの線引きは人それぞれ。
我が校が、人としてではなく、結果のみを重んじる学校だったら、持ち出しても、本数違わず返せば問題なかったでしょう。または、皆が、最終的に本数合えばよくね?な考え方なら、同じように問題にはならなかった。
つまりは、やはり個人の道徳心や背徳感の問題なんです。
道徳心や背徳感っていうのは、主に小学生教育の中で、生活に埋め込んで、世間で一般に正しいとされる行動と間違っているとされる行動を、世間一般でいう正しい判断で分別できるように身につけさせていくもので、叱っても、罰を与えても身につくものではありません。
今回の事件を受けて、自分の中でより正しい分別が出来るようになることこそが正しい公正であり、体罰などはあまり正しいとはいえないと私は思います。
これを機に、信頼を失うという罰を受けて、世間で一般に言われる正しい人間になればいいんです。
まあ、「以後気を付けるように」ですませる学校っていうのは、生徒一人一人がもとからレベルが高く、叱らなくとも自分が何をしたのか理解し、罪悪感を感じることが出来ると先生側から信用されている、いわゆる偏差値の高い学校か、もとから言っても無駄だと思われているバカ学校かのどちらかですね。
…………今回のことを後押しするような発言をした自分の言えた口ではありませんが。
自分が行かなかったのは臆病なのと、自分がなんか言われるのが嫌だったから。
基本的に、私は人一倍自分のことしか考えてないので、すべては自分の自己満足のための対応ですね。私たちの行為の正当化、ではありませんが、先生たちのつめの甘さを感じなくもなかったので、私のセオリーを書いたまでです。
第一、女子校っていうのは、「やめなよ」の一言が友情に溝を作ることなんてよくあるというのに、止めるべきだ、とかいうのは傍観者である教師であるからいえる言葉であり、私たちにとっては何の説得力もないんだよ。
だれもが本気でぶつかり合える世界なら、自殺者なんて出ないだろうし、醜い争い事なんて起きない。
より楽しい学校生活を送るためには、計算に計算を重ねて発言しなくちゃいけないのが女子校の難しさであり怖さなんだ。
きれいごとだけじゃ片付けられないから、女子って怖いって言われるんだよ。
きれいごとを言うだけで充足感をえられる先生たちは楽だけど、そうもいかない女子ばかりの私たちはどうすればいい。
今言っても無駄なんです。
きれいごとを実現するには、正しいとされる道徳心や背徳感を身に付けさせるには、初等教育の時点で手を打たなければいけないんです。
前、青少年健全育成なんたらのとこでも語ったけど、人の基盤を作るのは小学生までの教育です。
親の質が下がっているから、子供の質が下がっているように、家庭ぐるみで小学生までに正しいとされる行動などを身につけさせなければいけないんです。
こういった問題は、小学生までに正しく教育されてれば起きない。それだけなんですよね。
せめて中学生のうちに、過保護ではなく、もっと引いて、自分たちで考えさせる教育をすべきなのではないかと、私は思っています。
中学生の頃から思っていたが、うちの学校は過保護過ぎる。
人間は基本的に自分のことしか考えられないのだから、人間が人間を叱ることが出来るのは、相手が小学生までだと思うのが自分論です。
個人の理念が決まってきているこの年になってまでも、上から叱り付けるのは洗脳のようなものだと私は思います。
もちろんうちみたいな学校には、叱らなきゃ正しいとされる行動が出来ない子もいるからしょうがないですがね…
私絶対教師むかないと思う(笑)
正直善悪の考え方は、一人一人違うわけで、例えるならば、戦争で大量殺人を行った人がいたとして、負けた国の方は戦争犯罪人にされるけど、勝った国の方は英雄になるんだよ。正当防衛で人を殺したとしても平気な人もいれば、自分は正当防衛だとしても殺人を犯したんだと思う人もいる。
漫画だって、主人公が勝てばそれでハッピーエンドだけど、敵が勝てば、その世界ではそれが善とされていくんだ。
昔も書いた気がするけど、世の中の法則というのは、勝ったほうが善で負けたほうが悪なんです。
戦争がその一番顕著な例ですよね。
戦争が善と善の戦いであるように、善と悪の戦いというのは起こり得ないんです。
漫画の敵キャラのように傍若無人な悪人でも、その人なりに貫きたい信念や、正義があるから、人はぶつかり合うんです。
十人十色だからこそいざこざが起きるんです。
文化祭だってそう。
やりたい人とやりたくない人がいるのは当たり前だけど、準備をする人としない人にも同じことが言えるんですよ。
楽しむからには準備はちゃんとしなきゃ!と思う人、文化祭はやりたくないけど参加するからにはやるべきことはやらなきゃと思う人、先生に怒られたくないからやる人、文化祭は楽しみたいけどめんどくさいことはしたくない人、文化祭を楽しまないんだから準備もやらない人。
いろんな人がいるけど、それぞれ善悪の線引きが違うからこそ、こういった対応の違いがでるんでは。
善悪というと言いすぎかもですが、個人の道徳心や、背徳感の違いが生んだ結果ですよね。
今回の事件だってそう。
どこまでがセーフでどこまでがアウトなのかの線引きは人それぞれ。
我が校が、人としてではなく、結果のみを重んじる学校だったら、持ち出しても、本数違わず返せば問題なかったでしょう。または、皆が、最終的に本数合えばよくね?な考え方なら、同じように問題にはならなかった。
つまりは、やはり個人の道徳心や背徳感の問題なんです。
道徳心や背徳感っていうのは、主に小学生教育の中で、生活に埋め込んで、世間で一般に正しいとされる行動と間違っているとされる行動を、世間一般でいう正しい判断で分別できるように身につけさせていくもので、叱っても、罰を与えても身につくものではありません。
今回の事件を受けて、自分の中でより正しい分別が出来るようになることこそが正しい公正であり、体罰などはあまり正しいとはいえないと私は思います。
これを機に、信頼を失うという罰を受けて、世間で一般に言われる正しい人間になればいいんです。
まあ、「以後気を付けるように」ですませる学校っていうのは、生徒一人一人がもとからレベルが高く、叱らなくとも自分が何をしたのか理解し、罪悪感を感じることが出来ると先生側から信用されている、いわゆる偏差値の高い学校か、もとから言っても無駄だと思われているバカ学校かのどちらかですね。
…………今回のことを後押しするような発言をした自分の言えた口ではありませんが。
自分が行かなかったのは臆病なのと、自分がなんか言われるのが嫌だったから。
基本的に、私は人一倍自分のことしか考えてないので、すべては自分の自己満足のための対応ですね。私たちの行為の正当化、ではありませんが、先生たちのつめの甘さを感じなくもなかったので、私のセオリーを書いたまでです。
第一、女子校っていうのは、「やめなよ」の一言が友情に溝を作ることなんてよくあるというのに、止めるべきだ、とかいうのは傍観者である教師であるからいえる言葉であり、私たちにとっては何の説得力もないんだよ。
だれもが本気でぶつかり合える世界なら、自殺者なんて出ないだろうし、醜い争い事なんて起きない。
より楽しい学校生活を送るためには、計算に計算を重ねて発言しなくちゃいけないのが女子校の難しさであり怖さなんだ。
きれいごとだけじゃ片付けられないから、女子って怖いって言われるんだよ。
きれいごとを言うだけで充足感をえられる先生たちは楽だけど、そうもいかない女子ばかりの私たちはどうすればいい。
今言っても無駄なんです。
きれいごとを実現するには、正しいとされる道徳心や背徳感を身に付けさせるには、初等教育の時点で手を打たなければいけないんです。
前、青少年健全育成なんたらのとこでも語ったけど、人の基盤を作るのは小学生までの教育です。
親の質が下がっているから、子供の質が下がっているように、家庭ぐるみで小学生までに正しいとされる行動などを身につけさせなければいけないんです。
こういった問題は、小学生までに正しく教育されてれば起きない。それだけなんですよね。
せめて中学生のうちに、過保護ではなく、もっと引いて、自分たちで考えさせる教育をすべきなのではないかと、私は思っています。
中学生の頃から思っていたが、うちの学校は過保護過ぎる。
人間は基本的に自分のことしか考えられないのだから、人間が人間を叱ることが出来るのは、相手が小学生までだと思うのが自分論です。
個人の理念が決まってきているこの年になってまでも、上から叱り付けるのは洗脳のようなものだと私は思います。
もちろんうちみたいな学校には、叱らなきゃ正しいとされる行動が出来ない子もいるからしょうがないですがね…
私絶対教師むかないと思う(笑)
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